ヒト、オオカミに会う

史嶋桂

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今から数万年くらい昔の話になる。ユーラシア大陸の一角にあった丘陵地帯で、まだ年若い母親が乳飲み子を失った。その子は彼女にとって初めての赤ん坊だった。おそらく単独で狩りを行う猫科の肉食動物にさらわれたのだろう。赤ん坊を寝かしてあった場所には血痕ひとつ残っていなかった。母親は物音も悲鳴も聞かなかった。悲劇は初めてのお産と育児で疲れ切っていた若い母親が、ほんのわずかな間、赤ん坊から目を離した隙に起こった。
その年は森の実りも少なく、獲物もわずかで飢饉の兆しがあった。夫は一族のハンターたちと狩りに出たまま何日も帰って来なかった。女子供はわずかな自然の恵みを求めて集団で遠くまで出かけていた。その若い母親だけが、お産をしたばかりで体調もすぐれなかったので、赤ん坊と居留地に残されていたのだ。
 
「あの子はまだ生きているかも知れない」
かすかな望みを捨てきれない年若い母親は、危険を冒し、独り深い森に足を踏み入れた。
その森は狩猟をなりわいとする別の種族の縄張りだった。
 
大きな岩の下に掘られた穴から、赤ん坊の声が聞こえた気がした。若い母親は危険も顧みず狭い隙間に潜り込み、その声に向かって必死で手を伸ばした。
指先が暖かく柔らかい固まりに触れた。
それは毛皮にくるまれた赤ん坊の様に暖かかった。
母親はその塊を必死で引き寄せた。
だが引き寄せることが出来たのは自分の赤ん坊では無かった。
 
それは、まだ目も開かぬオオカミの仔だった。
 
落胆のため若い母親はオオカミの仔を抱いたまま座り込んでしまった。
オオカミの仔は自分の赤ん坊のように暖かかった。
仔オオカミも何日も母親が戻らないために餓えていた。
自分を抱き上げたのが誰とも分からないまま、暖かい方に鼻面を動かし、嗅覚で乳を捜した。
人間の赤ん坊がむずかる様な声も出した。
母親は張り詰めた乳房が濡れるのを感じ、思わずオオカミの仔に自らの乳を与えた。
オオカミの仔はのどを鳴らして乳を飲み、やがて満腹すると人間の赤ん坊そっくりの声でむにゃむにゃ言い、人間の母親の腕の中で眠ってしまった。
人間の母親は失われた我が子の代わりにオオカミの仔を抱いて戻って行った。
 
...以上は、コンラート・ローレンツ博士の名著「人イヌにあう」の序文を、最新の学説と、自分自身の知識と経験に基づいて書き直した一種のサイエンスフィクションである。
 
「原始人の後を付けるジャッカルに残飯を与えたのがイヌの始まり」とする当時のローレンツ博士の仮説に対し、僕は 「我が子を失った人間の母親がオオカミの仔を養子にしたのがイヌへの第一歩」 と言う、ロマンチックな仮説を考えた。そうしたパラダイムシフトがなければオオカミからイエイヌへの進化は始まらなかったと考えたからだ。
それはなぜだろう?

過去イヌの祖先動物は何か?と言う議論が何度も繰り返されて来た。大きく分けて、オオカミ起源説、ジャッカルを含む複数のイヌ科動物多元説、今は滅んだ祖先動物起源説の3つがあった。
 
最新の学説で、イヌの祖先は4万年前~1万5千年前に中東から東アジアに棲んでいたオオカミのどれかというが有力だ。ミトコンドリアDNAの塩基置換率から計算して、もっと古く13万年以上昔にオオカミの系統からイヌが別れたと言う説もある。核DNAを用いたUCLAの直近の研究では中東のオオカミが犬の祖先の有力候補だというし、ヨーロッパのオオカミが祖先だとする説もある。いずれにしても最近の研究はオオカミ(ハイイロオオカミ)をイエイヌの祖先と見なす例がほとんどだ。
 
最終氷河期の終わり頃、オーストラリアに侵入したアボリジニは、ディンゴと言うオオカミの亜種を連れていた。ディンゴは陸路のみならず、時には船に乗って人類と一緒に海を渡ったと思われる。だから家畜化されかかったオオカミの亜種、または初期のイエイヌの一種ともみなすことができる。ディンゴをイエイヌとみなすなら、その起源は数万年前に遡る事になりそうだ。

一方でオオカミの家畜化の始まりについての仮説は、依然として原始人の居留地の残飯に惹かれてやってきたオオカミが徐々に慣れたという説が目に付く。それが初期の番犬になったとする説もある。だが僕はこれらの 「オオカミがなんとなくイヌになった仮説」 には否定的だ。これはローレンツ博士自身が後に誤りだと認めた「ジャッカル起源説」のジャッカルをオオカミに置き換えただけに過ぎないからだ。

たしかにジャッカルの性癖なら残飯漁りもありえただろう。だが現在の狩猟採集民の例を見る限り、彼らはジャッカルを養えるほどの残飯を出していない。さらに彼らは肉食動物が居留地に近づかないよう、獲物は全てキルサイトで裁き、肉は一族郎党で食べつくす。原始人の生活はもっと厳しかったはずだ。果たして残飯をオオカミに与える余裕などあっただろうか?

さらにジャッカルのサイズなら村落の周辺で群れていてもそれほど脅威にはならないが、オオカミのサイズを考えると、あんな大きな肉食動物が村落の周りに群れていたら、人間自身が獲物として狩られてしまう危険性が高かったはずだ。現にオーストラリアの郊外では住人がディンゴに襲われる例が後を絶たない。なかには幼児が浚われ行方不明になった例もある。

つまり原始時代居留地の周りにオオカミが群れていたら、原始人は必死で彼らを追い払っただろうと思うのだ。

この事が実感できない方は、北海道の旭山動物園のオオカミの森を訪ねてみるといい。夕刻の食事時間帯に観察ホールからオオカミたちを観るのがお勧めだ。その時間帯なら人間の周りを食事を待ちわびるオオカミの群れが駆け巡り、遠吠えも聞かせてくれるだろう。そういう経験をすれば、オオカミに取り囲まれた人間がどんな気持ちになるか実感できるはずだ。動物園で飼われているオオカミですら、すばやく動き回る大きな影と朗々たる遠吠えは僕を震撼させる迫力に満ちたものだった。

僕はオオカミに魅力は感じるが、人間に社会化された個体でない限り、オオカミに囲まれて暮らしたいとは絶対に思わない。一つ間違えば自分が肉として狩られてしまう危険を感じるからだ。

さらに活動中のオオカミの成獣を観察すれば、彼らは犬のようにワンワンとは吠えないことも分かるだろう。つまり居留地の周りにオオカミの群れが漠然と群れていても、人間の脅威になりこそすれ、番犬の役になど立たないし、それこそ馴致などできないことが実感できるはずだ。そもそもオオカミの成獣は一回に数kgの肉を平らげる。そんな大量の肉をオオカミに与える余裕が、アフリカで食い詰めて中東に出たばかりの僕らの祖先にあったとは思えない。

では人間がオオカミの仔を養子にして身内にしたと言う話はあり得るのか?
 
実はこれにはいくつか根拠がある。一つめはオーストラリアで今も原始的な生活を営んでいるアボリジニが、野生のディンゴの乳飲み子をさらって来て、人間の母乳で育て、猟犬として使うと言う例がある。
 
二つめはモンゴル族が、羊の保護の為に、年中行事としてオオカミの巣穴を襲い、幼いオオカミを捕獲して間引いていると言う例がある。モンゴルではオオカミは保護動物なので、彼らは捕獲したオオカミの仔を飼い慣らし、動物園に売ったり、雑伎団で曲芸までやらせたりする。欧米のサーカスで芸を見せるプードルの代わりに、モンゴルではオオカミがサーカスで芸を披露する。これは迫害を受け続けたせいで、極端に臆病に、あるいは凶暴になってしまった欧米のオオカミでは考えられないことだ。
 
三つめ、オオカミも社会化期以前の仔オオカミの段階から人間がきちんと育てれば、その人間を群れのリーダーとして認め、群れ全体が一生変わらぬ忠誠を見せる、と言う複数の観察例がある。

ヴェルナー・フロイントはその著書「オオカミと生きる」の中でシンリンオオカミやホッキョクオオカミなどの一腹仔を極幼いうちから育て、ドイツ郊外に広大な囲い地をいくつも作り、馴致しないまま飼い、そこで複数のオオカミの群れのスーパーアルファとして君臨したとのべている。
中でも人類の迫害を殆ど受けていないホッキョクオオカミが極端に人馴れする様子は興味深い。

戦前の話だが日本人の犬の研究家 平岩米吉は都内目黒区自由が丘の自宅の庭にチョウセンオオカミの群れを放し飼いにしていた。彼は人馴れしたオオカミを連れて銀座を散歩するようなこともやった。彼はオオカミだけでなく犬の祖先動物と目される多くの犬科動物を自宅で実際に飼育し 「オオカミだけが永続的に飼い主に慣れた」 ことから、犬の祖先はオオカミ以外にありえない」と確信するようになった。
 
四つめの事例、これは自分で赤ん坊から子育てを経験し、さらに大型犬の繁殖を自宅で行った経験の無い方には理解出来ないと思うが、泣き叫んでいなければ、人間と大型犬の新生児が出す声や雰囲気は驚くほど似ている。僕は暗い中で乳臭くて暖かい両者を識別する自信がない。そのくらい両者の赤ん坊の出す音や気配はそっくりなのだ。

逆の例としては、僕は自分の家族の一人がハイハイする赤ん坊だった時、実家でお産をしたスタンダードダックスの産箱にもぐりこみ、子犬たちと一緒に犬のお乳を飲んでいるのをなんども目撃している。母犬は迷惑そうに見えたが、赤ん坊を排除することなく母乳を与えていたのが印象的だった。

そんな経験がなくても、犬好きな人なら、子犬の可愛らしさには誰しも頬が緩んでしまうはずだ。オオカミの幼獣はまるで黒いポメラニアンのような外観をしている。文字通りオオカミの仔は僕にキュートレスポンスを引き起こす存在なのだ。 

日本では幼すぎる子イヌの販売が問題視されるが、これは幼い子イヌが人間から見て、大変魅力的で人間の保護欲をかき立てる存在である事を利用したビジネスモデルと見なせるだろう。そしてその状況はオオカミやディンゴの仔でも変わらなかったはずだ。

オオカミは犬のようには慣れないとする学者もいるが、そういう人は実際に人間に飼われているホッキョクオオカミやモンゴルのオオカミを観に行くといい。彼らは大柄で毛深いことを除けば、普通の犬とまったく変わらない態度で飼い主や害意のない来客に親しげに接してくるのが分かるだろう。
 
オオカミの仔には社会化期がある。社会化期はオオカミやイヌの仔が、将来群れで社会生活を行うために欠かせない時期でもある。オオカミの社会化期はイヌよりも早い時期に終わってしまうが、社会化期に仔オオカミが自分の仲間と認識した相手は、人間と言う異種であっても一生を通じて身内として扱われ、自分の親またはリーダーだとオオカミに認められれば、それは一生変わらぬ親愛と忠誠に結びつくのだ。

この社会化期以前のオオカミの仔を育て始めると言う行為無くして、オオカミからイエイヌへの家畜化は不可能だったろうと僕は考える。それを彷彿とさせる話として、dog actually timesでも紹介された「先史時代、犬は女性の友だった」と言う研究もある。
 
これらが 「人間の母親がオオカミの仔を養子にしたことでイヌへの第一歩が始まった」 と言う仮説を僕が考え出した理由だ。

2017年5月 dogacutuallyに閉鎖に寄せて。史嶋桂@小島啓史

 

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