犬のゲノム研究が明らかにしてきたこと(24)-チベタン・マスティフが高山病にならない理由は、オオカミとの交雑にあった

尾形聡子

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[photo by timquijano]

標高は私たち人間の身体機能に影響を及ぼします。標高が高くなればなるほど気圧が下がり、酸素の量が少なくなる、いわゆる"酸素が薄い"状態になるため、富士山(標高3,776メートル)のような高い山に登ると高山病にかかってしまうことがあるのはよく知られています。また酸素の薄い状態である標高の高さを利用し、心肺機能をさらに向上させようとするトレーニング方法は高地トレーニングとしても知られています。高度の限界はあるものの、低地に暮らす人でも時間をかければ空気の薄い高地環境に順応できることは分かっていますが、いずれにしても人は、生きていくための機能をしっかりと働かせるために十分な量の酸素を必要とする生物です。

しかし地球上には、チベット民族やアンデス高地住民のように、古くから低酸素環境の高地で暮らしてきた人々が存在しています。標高4,000メートルを超えるような富士山よりも高い場所で日常生活を続けている人々や動物には、低酸素状態の高地での生活に適応できる生体機能が生まれつき備わっている、すなわち、特有のゲノム変化を持っているのではないかと考えられ、これまでにさまざまな研究が行われてきています。

平均標高4,500メートル、世界で最も高い場所にあるチベット高原に暮らすチベットの人々は、血液中に酸素を運ぶヘモグロビンの生成を調整する役割を持つ EPAS1という遺伝子を含むいくつかの遺伝子に特異的な変化を持っていることがこれまでに明らかにされています。そして2014年には、チベット人が絶滅したデニソワ人と異種交配したことにより、高地順応のカギとなる遺伝子である EPAS1の変異型を得ただろうことが示唆されました。

そもそもデニソワ人という種が存在していたことが判明したのは2010年と、つい最近のことでした。ロシアのアルタイ山脈にあるデニソワ洞窟で発見された骨のかけらの分析調査から、デニソワ人はおよそ50万年ほど前に現生人類から枝分かれしたと考えられており、ネアンデルタール人と並んで我々の近縁種だったとされています。

そのデニソワ人と現生人類が4万年ほど前に交雑。2万4千年ほど前にチベット高原に移動し定住した際に、EPAS1遺伝子の変異型が高地順応に有利だったため、現在のチベット人のほとんど(87%)が変異型の EPAS1遺伝子を持つに至ったのだろうと考えられています。

高地順応能力については人だけでなく、チベット高原に住むさまざまな動物種についても同様にゲノム研究が行われてきました。これまでに、チベット・アンテロープ(チルー)、チベット・イノシシ、ヤク、チベタン・シープ、ヒメサバクガラス(ground tit)など、高地生活に自然に順応した野生動物、そして人が交配を進めたチベット高原原産の犬であるチベット・マスティフの研究も進められています。

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[photo by lgrvv]

チベタン・マスティフでのゲノム研究

2014年、中国の研究チームにより、チベタン・マスティフを含む様々な標高に暮らす犬のゲノム解析が行われました。高地に暮らす犬と低地に暮らす犬のゲノムを比較すると、いくつかの遺伝子に違いが見られ、その中には高地に暮らす人々に特異的な変異が起きている遺伝子が含まれていました。そのひとつが先に述べました、同じく高地に暮らすチベット人が特異的な変異型を持つ、高地順応のカギとなる遺伝子EPAS1でした。

チベット人が変異した EPAS1遺伝子をデニソワ人から得たとするならば、果たして犬はその遺伝子変異をどのようにして獲得したのかという疑問が出てきました。自然に起こった突然変異だったのでしょうか?その謎を解き明かすべく研究が続けられ、昨年2016年、同じく中国の研究チームが、チベタン・マスティフの高地適応遺伝子は2万年以上前に高地に住んでいたチベットのハイイロオオカミとの交雑によってもたらされたものだと発表しました。

研究者らは低地に住むハイイロオオカミと高地に住むハイイロオオカミ(チベットのハイイロオオカミ)、チベタン・マスティフ、中国の低地に暮らすビレッジドッグ、ゴールデン・ジャッカルの DNA の解析を行いました。その結果、ゲノム全体でみてみると、チベタン・マスティフはオオカミよりも他の犬たちとの類似性が非常に高く見られました。しかし、EPAS1遺伝子ともうひとつ、ほかの高地適応動物で発見されていた HBB 遺伝子の2つの遺伝子領域での類似性については、他の犬との間には見られませんでした。

チベタン・マスティフのそれら2つの遺伝子領域は、高地で暮らすチベットのハイイロオオカミとの交雑で得られた可能性があること、そしてハイイロオオカミとの交雑の前にチベタン・マスティフは家畜化された犬としての遺伝子を持っていたことが示されたことから、次に、研究者らはその遺伝子をチベタン・マスティフがいつ頃獲得したのか解析しました。すると、EPAS1遺伝子についてはその大部分が旧石器時代にみられるタイプであり、チベタン・マスティフとオオカミがおよそ2万4千年前に交雑しただろうということが示されました。つまり、人類がチベットに移住した時期と重なることが明らかになったのです。

犬の家畜化が起きたのは今から1万5千年以上前であると言われてはいるものの、それよりも前に起きているのではないかとする研究結果もあり、時期についてはいまだ明確になることはなく論争の最中にあります。今回の結果を受けて研究者は、チベタン・マスティフは中国に最も古くから存在する犬種のひとつですからと、2万4千年前にすでに家畜化されていたチベタン・マスティフ(もしくはその先祖となった犬)と人が共にチベット高原に移動して暮らし始めた可能性があることを示唆しています。

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Credit: Zhen Wang, Shanghai Institutes for Biological Sciences, ChineseAcademy of Sciences, Shanghai, P. R. China 
※チベット民族と犬は近縁種との交配という同じ方法で、高地に適応できる進化を遂げました。チベタン・マスティフはチベットのハイイロオオカミから、チベット民族はデニソワ人から、高地に適応するための同じ遺伝子を獲得したのです。

ゲノムの変化は生物の進化を物語っています。古代に起きた交雑の結果、偶然にも特有の適応能力を獲得できていたという事象は、これからも様々な生物種で明らかにされていくかもしれません。しかし今回、チベタン・マスティフの高地暮らしを可能にした遺伝的背景が分かり、人と犬が同じような方法で同じ遺伝子変異による機能を獲得したということは、単なる偶然ばかりではなく、古くから人と犬の間に存在し続けている縁のような繋がりを感じてしまうものです。

【参考文献】
Genomic sis Reveals Hypoxia Adaptation in the Tibetan Mastiff by Introgression of the Grey Wolf from the Tibetan Plateau. Mol Biol Evol. 2016. 
Science News

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