GREEN DOG

2012年1月31日 ,

終生飼養と犬の幸せ

京子アルシャー

310112_Apollo1.jpg.JPG

犬は友達の死をどのように受け止めるのだろう。

犬も年を取るにつれ、若い頃にいっしょに遊んだ仲間たちが次々とこの世を去り、先日もっとも近しい兄弟分だった犬のアポロもとうとう天に昇ってしまった。アポロはただうちの犬と同じ犬種だったからというだけでなく、私にとってうちの犬の次に特別な存在で、同じ犬種でも大人しい性格のうちの犬とは全く対照的に破天荒で物怖じしない、そんなサルーキーだった。

しかしそんなアポロの性格に家族は度々頭を悩ませていた。望まれて迎えられた犬種であったはずなのに。その実そもそも家族がサルーキーを迎えたのは、家族の父の職業(馬の歯科治療専門獣医師)柄、3人の子供たちも自然と馬へ興味が向いていたせいで、エレガントな外見と原産国アラブにまつわる猟犬と馬との関わりからだった。

アラブ人にとって馬とサルーキーと鷹は、それこそ金になど替えがたく、男たちにとっては自分の娘よりも大事な財産。そんな話を診療先の馬仲間からいろいろ聞いていたのだろうか、家族は迷うことなく馬に関係のあるサルーキーという犬種に魅かれ、地元のブリーダーから生後8週のアポロを迎えた。

アポロは5匹兄弟のうちの1頭で、ドイツの法律に則って生後8週まで親兄弟と暮らした後、新しい家族のもとへとやってきた。

子供たちは毎日家のすぐ目の前にある公園で子犬のアポロと遊び、アポロもまた親兄弟と離れてさびしいそぶりを見せることなく新しい環境に慣れていった。ちょうど生後5か月を過ぎる頃、同じ犬種を飼っている私の存在を家族の父が同僚づてに耳にしたのがきっかけで、私たちは知り合い、以来毎週末家族ぐるみで一緒に森へ行き、お互いの犬を走らせた。

当時まだ子犬らしさが抜けきらず、年上で穏やかな性格のうちの犬の口元をアポロはしきりに舐めてとても慕っていたのを今でもよく覚えている。

サルーキーの走りは大きく弧を描くため、体が成長するにつれそれまで遊んでいた家の前の公園ではだんだん手狭になってきた。かといって、まったく走らせないとそれはそれでエネルギーと欲求が爆発せんばかりに泉のように湧き上がるし、走れば走ったでこれまたサルーキーという犬種の性質上あまり人へ興味が向けられないことも一因してアポロの興味は他の犬へと向けられ、犬種として典型的に飼い主のコマンドに対し常に自分の興味とを天秤にかけ判断するようになった。

サルーキーはいわゆる「服従系」の犬ではなく、自由に振る舞うことを許されてきた犬種だ。どんなに訓練しても気分屋であることには変わりない。そんなサルーキーの性格を目の当たりにした家族は、これまで思い描いていた犬への概念に当てはまらないアポロの存在に苦戦を強いられるようになった。

310112_Apollo2.jpg.jpg

森で幾度もよその犬にふらふらと付いてどこかへ行ってしったことなどは序の口で(幸いにも毎回森のはずれで誰かが捕まえてくれ首輪につけてあるタグを頼りに電話をかけてくれたが)、家の前の公園から飛び出して1ブロック向うの幹線道路をぴょんぴょん跳ねながら何度も横断し運転者達に冷や汗をかかせたり、家族の父の往診先では馬に蹴られ、はたまた家族母の故郷イスラエルの田舎でジャッカルに気を取られて有刺鉄線に脇腹を引っ掻け、縫合糸の持ち合わせがなくデンタルフロスと普通の縫い針で縫われたり、とにかくこの犬の武勇伝にはキリがなく、しかも強靭な守護天使がついているようだった。

とにかくパワフルで、見方を変えれば猟犬としてはとても優秀なサルーキーとでも言おうか。

「サルーキーがこんなに手のかかる犬だとは思わなかった。私はもっと従順な普通の雑種犬でよかったのに」家族の母はときどきそう愚痴をこぼした。

優秀な猟犬にただの従順な家庭犬でいろというのは非常に酷なものである。アポロの気性と能力が手に余る状況の家族はとにかくどうしたらアポロが落ち着き、どうしたらアポロの興味を引き呼び戻しができるようになるのか悩んでいた。悩みながら試行錯誤を繰り返し、友人のドッグトレーナーに相談したり、一時はフルチョークカラーだけでなくスパイク(金属の棘)のついたチェーンや電気ショックカラーにまでも手を出し、試みた。

しかし、結果は何も変わらなかった。

いや、厳密には一時的にアポロは臆病になった。特に電気ショックカラーを首につけているときは行動がどことなく挙動不審で、一見従順に飼い主の言葉に反応しているように見えるが、いったん首輪を外すともう飼い主の声はアポロには届かなかった。犬とはいえ、状況を理解しているのだ。

そんなアポロと家族の攻防を傍で見ていた私はやはり悲しく、いくら服従を好まない犬種とはいえ、これほどにまで家族の犬が家族に対して興味を示さず、魅力のない家族であるという状況がむしろ不思議にも思えた。家族旅行のため一時的にアポロを我が家で預かり、旅行から帰ってきた家族がアポロを迎えにやってきたときの当の本犬の喜びのなさ。家族に魅力がない原因はなんだろう、と何度も考えさせられた。

アポロの求めるものはなんだったのか。家族がそれに気づかず、アポロは折につけなにかと家族の手を焼かせ、それでも家族はアポロを手放さなかった。かといって子供3人を抱える家族の日常を変えることはそうそう容易ではなく、これほど子供たちの興味も薄れているのだから、いっそのことサルーキーという犬種をよく知り愛情を持って迎えてくれる人の手に渡した方がアポロのために良いのではないか?と家族に聞くと「飼っている犬を手放すのは非人道的だ」と思春期に突入した家族の次女が言った。

果たしてそうだろうか?

軽い気持ちで飼い始め、「手放す=飼育放棄」のレッテルを張られるのが嫌で犬を人の都合にばかり振り回し、犬としての生活が保障できないのならば手放さなくてもすでに飼育放棄である。家族が興味を失い、それでも最期まで飼うのが「責任」なのではなく、興味を持って犬に適した生活環境を与えることが本来の「責任」なのではないか。アポロの状況は現実的には「飼い殺し」ほどひどくはなかったが、でも家族の生活にアポロのペースがかみ合ってなかったことは確かで、家族の見栄と犬の幸せについてもっと家族が自覚すべき点だった。

4年後、ようやくアポロは生まれ持った気性そのままを受け入れてくれる家族を得た。新しい家族の手に渡り、そして間もなく肺炎に罹り、あっけなくこの世を去った。

最後の最後にほんの一瞬の幸せを得たアポロだった。

たかが犬の一生、されど犬の一生。短くも長い犬の一生はいったい誰のためなのだろう?

京子アルシャー

コメント

犬を好きになれなかった人にとっての終生飼育は苦役を果たした自己満足だと思う。
犬が好きで終生飼育した人は後悔が尽きないけど幸せだと思う。

私に対する家族の過去の接し方を思い出しました。
「別にどうでもいいけどここに居るだけ」
そんな気持ちだったのかな、アポロも。

末期ガンで、手の施し用がなくなった飼い犬の安楽死を決意したある母親が、6歳の息子に犬の病気の事や安楽死の事を話した時、その男の子が母親にこう言いました。「犬は生まれながらにして、”優しさ”を知っている生き物。人間は犬のように優しくないから、長い時間をかけて学んでいるんだよ。だから犬の人生は人より短いんだ」

お母さん、それを聞いて唖然+硬直+号泣だったそうです。

コメントを投稿する
  

この記事を引用

モバイルで接続

携帯で閲覧

携帯で閲覧

バーコードを読み取るか、携帯にアドレスを送信してアクセスしてください。